再稼働判断は、国民の命をかけた「ギャンブル」



昨夜、野田佳彦首相が「私の責任」で近日中に大飯原発の再稼働を判断すると発言した。

「私の責任」とはいったい何か。万が一の時に、首相の座から退けば「責任をとった」ことになるのか?

福島第一原発事故当時の菅直人首相はその座を退いている。しかし、誰も、菅首相が原発事故の責任をとったとは思っていない。


国民も野田首相の「私の責任発言」を聞きたいのではない。そもそも首相が責任をとるのは当たり前で、そんなことをわざわざ強調するまでもない。

「私の責任で再稼働を判断」というのは、野田首相が「国民の命」を掛け金として、原発を動かすギャンブルに打って出ることに等しい。

共同通信が5月26日、27日に行った電話世論調査では、原発の再稼働について反対が56.3%で、賛成36.0%より依然として多かった。、56%の国民が野田首相のギャンブルを許していない。

「国民の一定の理解」とは、こんなことを言うのだろうか。

 

「ないないづくし」の再稼働判断

そもそも、あらゆる面でこの原発「再稼働」判断は拙速だ。


第一に、東電福島第一原発事故の原因究明が終わっていない。

第二に、原発の暫定安全基準は、福島第一原発事故のような場合の対応を考慮していない。

第三に、緊急防災対策や避難訓練が行われていない。また、重大事故を想定した放射性物質拡散シミュレーションも実施されていない。

第四に、原発事故で被害を受けた人たちは未だ救済とは程遠い状況に置かれたままだし、大飯原発直下のおおい町民にはたった1度の説明会が開かれたのみだ。福井県民や周辺自治体に至っては、意思を表明できる機会すら設けられていない。

第五に、中・長期的なエネルギー政策が合意できていない。

第六に、そもそも原発の放射性廃棄物の行方も決まっていない。

 

稼働させるべきは「国民の節電への意識」


東電福島第一原発事故を経験した私たちが打って出るべきは「目を閉じて何も起きないことを願いながら原発のスイッチを押す再稼働ギャンブル」ではない。

日本の英知と努力を結集したスマートな「節電、省エネ、電力融通、ピークシフトなど」で、弱者をまもりながら「夏を乗り切る」着実な歩みだ。そこから、次世代に誇れる新たなビジネスチャンスも生まれるだろう。

82%の国民が「稼働する原発がないことで今年の夏に電気の使用が制限されても我慢できる(JNN世論調査 5月12日、13日)」としている。その意識の高さこそ「稼働」させるべきではないか。

原発の再稼働はやめるように強く要望する。